大島紬テディベアの泥太郎と藍太郎(@mizuhobear)が紡ぐ古今和歌集の世界。
秋は月が最も美しく見える季節です。
ふと、昔の人は月を見て何を思っていたのだろうか。
結論から言うと、月を見つつ自分の内面を見ています。
悲しみが止まらなくて、溢れる涙で心の垢を洗い流すと言ったらいいのでしょうか。
古今和歌集の歌人たちは、
月の光にどう心を休めたのか見ていきたいと思います。
月の光は物思いをうながす
今まで風に秋の訪れを感じたことはあっても、
月の光に秋の来訪を感じたことはありませんでした。
月光は人に物思いを促し、内省的になります。
秋の夜は自分を見つめ直す絶好の機会です。
木々の間から地上に洩もれてくる月の光を見ていると
このまより もりくる月の 影見れば 心づくしの 秋はきにけり(184) よみ人しらず
【現代語訳】木々の間から地上に洩れてくる月の光を見ていると、
さまざまに物思いをされる秋はもう来ているのであるよ。
今まで風に秋の訪れを感じたことはあっても、
月の光に秋の来訪を感じたことはありませんでした。
月光は人に物思いを促し、内省的になります。
秋の夜は自分を見つめ直す絶好の機会です。
「月に雁」は秋のモチーフ
白雲に はねうちかはし とぶかりの かずさへ見ゆる 秋のよの月(191) よみ人しらず
【現代語訳】白雲の浮かぶ空高く羽ばたきながら飛んで行く雁の数までも
はっきり見える秋の夜の月のあかるいことよ。
絵画的な歌で、瞼に浮かんできます。
さ夜なかと 夜はふけぬらし かりがねの きこゆるそらに 月わたる見ゆ(192) よみ人しらず
【現代語訳】夜が更けて真夜中になったらしい。雁の鳴き声が聞こえてくる空に、
明るい月が渡ってゆくのが見える。
「月に雁」は秋の和歌にも詠まれ、のちに歌川広重も浮世絵の題材に使うなど、
秋の情景描写を表す時によく使われるモチーフです。
セットで覚えておきましょう。
月と向かい合う
月見れば ちぢに物こそ かなしけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど(193) 大江千里
【現代語訳】あの大空に照る月を見ていると、
あれやこれやと限りなく悲しい思いがつのってくることである。
私ひとりだけの秋ではないのに。
月と向かい合うことで、自分の中が悲しさで満たされる。
なぜ自分だけと孤独を嘆いています。
言い換えると孤独を嘆きつつも、浄化しているようにも見える。
月を見て思索を深めています。
月のはからいに感謝する
佐保山の ははそのもみぢ ちりぬべみ よるさへ見よと てらす月影(281) よみ人しらず
【現代語訳】佐保山の美しい柞の黄葉が散りそうになってしまったので、
昼間だけでなく夜までも見なさいとて、月の光が照っていることである。
黄葉を照らす月の光に優しさを見出しています。
秋の月 山辺さやかに てらせるは おつるもみぢの かずを見よとか(289) よみ人しらず
【現代語訳】秋の月が山のあたりを明るく照らし出しているのは、
散ってゆくもみじの数を数えてみよというのであろうか。
散る紅葉やイチョウを少しでも長く楽しめるように
夜も山を明るく照らす月と言う見立てで、
月を擬人化しています。
行く秋を惜しむ歌ですが、月に粋な計らいに感謝しましょう。
まとめ.
古今和歌集の歌人たちは、月を見つつ自己の内面を直視していました。
秋の夜長を自身を見つめ直す絶好の機会にしてください。